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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)6052号 判決 1959年10月02日

原告 株式会社日本相互銀行

被告 国

訴訟代理人 堀内恒雄 外三名

主文

原被告間に、原告の訴外川俣捨松に対する金額五十万円、一年満期なる昭和三十一年十二月二十八日附定期預金契約に因る預金返還債務の存在しないことを確定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は相互銀行法により銀行業務を営むものであるが、昭和三十一年十一月十五日訴外川俣捨松に対し金五十万円を弁済期昭和三十二年二月七日、利息日歩金二銭(但し、期限迄の分は支払済)と定めて貸付けた。

(二)  他方、川俣捨松は原告に対し予ねて預金を預入れていたがその預金五十万円の債権を目的として昭和三十一年十二月二十八日期間一年利息年六分とする定期預金契約を原告との間に結び、同時に原告に対する前項(一)の借用金債務の担保として、右定期預金債権につき原告のために質権を設定し、且つ(一)の借用金をその弁済期までに弁済しないときは、原告において川俣の右定期預金の満期前でも、その預金返還債務と(一)の貸金債権とを対当額について相殺できることを約定した。

(三)  ところが王子税務署長は川俣捨松に対する国税滞納処分として同人の被告に納付すべき昭和三十一年度所得税及び加算税三百一万八千四百七十円、外に国税徴収法第四条の一による「納期繰上徴収」として数期の所得税を合算した総額三百十六万六千五百三十円並に滞納処分費四十五円を徴収のため、昭和三十二年一月十六日川俣の原告に対する前示定期預金債権を差押える旨原告に通知して来た。

(四)  しかしながら川俣は(一)の借用金債務をその弁済期までに弁済しなかつたので、(二)で述べた約定に基いて原告はその貸金債権と川俣の原告に対する定期預金債権とを対当額につき相殺する旨の意思表示を発し、右意思表示は昭和三十二年二月九日川俣に到達したが、原告は同日王子税務署長到達の書面により右相殺をなした旨を通知した。

(五)  ところで、国税徴収法により国税滞納者の第三者に対する債権が、国から差押を受けた後においても右被差押債権の債務者(第三債務者)は、差押前に取得している国税滞納者に対する反対債権をもつて相殺することができるのである(最高裁判所昭和二十六年(オ)第三三六号事件の判例、判例集第六巻第五号第五一八頁参照)から、上叙(四)の相殺により、川俣の原告に対する定期預金債権は消滅に帰し、原告の右預金返還債務は存在しないのに拘らず被告は原告に右債務ありとして、国税徴収法第二十三条の一による代位取立をしようとしているので、被告に対する関係において右債務の存在しないことの確定を求めるものである。

と述べ、

被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張事実中

(一)は認める。

(二)のうち、訴外川俣捨松が、原告主張の借用金をその弁済期までに弁済しないときは原告においてその主張の定期預金の満期前でもその預金返還債務と、貸金債権とを対当額について相殺できる旨の約定があつたとの点は不知、その余は認める。

(三)(四)は認める。

(五)のうち原告主張の相殺により川俣の原告に対する定期預金債権が消滅したとの主張を争う。

債権差押の場合、被差押債権の債務者(第三債務者)が、被差押債権の債権者(差押債務者)に対する反対債権を以てする相殺を差押債権者に対抗できるためには、第三債務者の反対債券の取得が単に差押前であるだけでは足らず、反対債権の履行期も差押前に到来して、相対立する債権が差押前に何れも相殺適状にあることを要するものであり原告援用の判例の事案も被差押債権並に反対債権が共に差押前に相殺適状にあつたものである。

ところで本件被告の差押がなされたのは昭和三十二年一月十六日であり、原告の相殺の意思表示は差押後の同年二月九日であるところ、被差押債権(川俣の原告に対する定期預金債権)の満期は同年十二月二十八日であり、原告の川俣に対する反対債権(貸金債権)の弁済期は同年二月七日であるから、被差押債権も反対債権も差押前においては未だ履行期到来せず、相殺適状にはなかつたので原告はその主張の相殺を以て被告に対抗できないものと云わなければならない。

従つて原告の本訴請求は失当であると述べた。

証拠<省略>

理由

原告主張の(一)の事実は本件当事者間に争がなく、(二)のうち訴外川俣捨松が予ねて原告に預入れていた預金五十万円の債権を目的として原告との間に原告主張の定期預金契約を結び同時に原告に対する原告主張の借用金債務の担保として右定期預金債権につき原告のために質権を設定したことも被告の認めるところであり、成立に争のない甲第一、第二号証によれば、右質権設定の外、川俣が原告に対する借用金債務をその履行期までに履行しないときは原告において、川俣の前示定期預金の満期前でも、その預金返還債務と貸金債権とを対当額で相殺できる旨の約定があつたことを認めることができる。尤も右甲号各証によれば、原告が川俣に対する債権と預金返還債務と相殺するについては川俣に対し「何等の通知を要しない」旨の約定となつていたことが認められるけれども、川俣がその債務を履行期に履行しない場合に、その不履行を停止条件として相殺がなされるのではなく、右不履行の場合には、原告において相殺をなすや否の選択の自由を有する約定であつたことは前述の通りであるから相殺する場合は、その意思表示を通知することが必要であり、従つて「何等の通知を要せず」との部分の約定は無効であるが、さればとて、右無効部分の内容並に無効とされる理由よりして、右部分以外の相殺に関する約定が有効と解するに支障はないのである。

次に原告主張の(三)(四)も被告の認めるところである。

そこで原告の相殺の効力について判断する。国税滞納処分として国税滞納者の第三者に対して有する債権が差押を受けた場合、その滞納者は被差押債権につき、取立、弁済の受領その他債権を消滅(譲渡等の相対的消滅を含む)させるような一切の処分を禁止されることとなる結果滞納者が被差押債権についてなした弁済の受領、被差押債権の譲渡等の効力は、差押債権者に対する関係で認め得ない当然の結果として、弁済者、被差押権の譲受人は元来、当該差押執行関係については、無関係な第三者の立場にあるに拘らず、反射的にその弁済、又は被差押債権の譲受を以て差押債権者に対抗できないことになるのであるが、被差押債権の債務者(第三債務者)は、差押により被差押債権について差押前より有する抗弁権その他の権利行使を妨げられる理由はない。差押は本来執行債務者に権利行使を制限するものであり、第三者は、その制限に反する執行債務者の行為の効力を反射的に甘受させられるにすぎないからである。民法第四百六十八条第二項、第五百十一条からも間接に右法理が推知できるし--原告援用の判例は端的に右法理を明にしている。

従つて被差押債権の第三債務者は、差押前に執行債務者(被差押債権の債権者)に対して取得していた債権が、被差押債権と相殺適状となつたときは何時でも相殺ができるのであつて、差押前に相殺適状にあることを要するものではない、このことはすでに述べた通り差押により第三債務者の権利行使が禁止される理由はないからであり、前示民法第五百十一条の法文によつても、差押後の取得債権による相殺のみを差押債権者に対抗し得ないとしているに止まり、相殺のその他の要件については、一般相殺の要件以外の何等の規定も設けてはならないところからしても、明である。

本件において原告が相殺に供した川俣に対する、貸金債権は差押前に原告が取得していたものであり、相殺の意思表示当時、履行期が致来していたことも明であるし、他方川俣の原告に対する定期預金債権については、同人の原告に対する債務の履行期経過後は原告において相殺により決済できる約定があつたのであるから川俣の借用金債務がすでに弁済されたことについて、これを認め得る証拠のない本件では、原告主張の相殺の意思表示により、被差押債権は消滅に帰し、原告は川俣の定期預金返還債務を負担していないものと云わざるを得ない。しかも被告が被差押債権の消滅を争い、原告に対し川俣の預金取立を意図していることは本件における被告の主張自体により明白であるから、被告との間に、原告に川俣に対する定期預金返還債務のないことの確認を求める原告の請求は正当である。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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